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2019年3月 5日 (火)

元・岩手フィールドリーダー 齊藤 博さん

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岩手の齊藤さんから、近況報告が届きました(2014年6月29日)。残念ながら岩手フィールド(薄衣里山隊)は、地主さんの都合で活動休止中ですが、齊藤さんの里山ライフは続行中。2011年の記事と一緒にお読みください。

《2014年6月29日の手紙》

2010年、私と相棒は岩手で里山暮らしを始めました。
目指すは自然の循環に則った里山。農薬、化学肥料は使いません。
相棒は葉っぱと草だけで野菜作りです。
長く放置されてきた田んぼは、開墾からのスタートでした。
田の耕起は集落の人に頼みました。
秋には何とか稲刈りしてはせかけへ。
食味テストはAランクの一等米。ビギナーズラックの典型です。

翌年の3月11日。大震災に遭遇。幸い山側だったので、大きな被害はありませんでした。
田んぼには牙を持った見たことのない生き物が大発生。
夏が近づくとみなスッといなくなりました。
図書館で調べると、なんとゲンゴロウの幼虫。自然度の高いところに生息する生物とのことでした。
私の田んぼに来てくれて、本当にありがとう。

2012年と13年は、春に雨が降らず、干ばつの日々。
初夏、ついに先人をまねて山から水を引くことを決意。
道なき道をホースをひきずり、半月かけてやっと田へ水が届く。
ホース延べ800メートル。
でもすでに田植えの時期は終わっていました。

7月末、今度は集中豪雨にみまわれ、我が棚田の畔に穴があいてしまいました。
結局この二年間、収穫はゼロでした。
そして今年2014年、畔はまだ修復してもらえず、
田植えはしてみたけれど田から水が抜けてゆきます。

昨年、暮のことでした。
八木澤商店へ遊びに行って、河野会長から耳寄りな情報をいただきました。
「里山資本主義」という本がものすごい人気だそうで、
私たちの住んでいる里山が、本当は大変豊かな力を持っているとの由。
こちらへ来てから、何度か「限界集落」という悲しい言葉を耳にしました。
それが、一気に消し飛ぶかもしれない!私の心は熱く燃えはじめたようです。
外から来た者の使命では!!これからゆっくり煮詰めてゆきたいと思います。

今年3月、私の森の中に鳥の大群が下りてきました。
それが延々と15分間ほども続いたのです。何千羽という数です。ただ、茫然と見ていました。
大騒ぎしてそこらをついばんで、また、ワーッといなくなりました。
後で図鑑で見ると、「アトリ」という鳥と知りました。
家の周囲にも3度下りてきました。これだから里山はやめられません。
(2014年6月29日、齊藤 博さんより)

 

 

《2011年6月発行、聚レター117号に掲載したインタビュー》


里山を走り続けた12年。
人生観を変えた出会い。

 子どもの頃からボーイスカウトに参加したり風景画を描いたりしていたので、日本の原風景ともいえる美しい自然が失われつつあることに心を痛めていました。そんな時にグリーンセイバー検定制度に出会ったのですが、テキストを読んだ時の衝撃は忘れられません。植物がもっているすばらしい力や地球上のすべての生きものに役割があることなどを知り、人生観まで変わりました。すぐに聚に入会し、町田の三輪フィールドに参加。北海道の出身で、それまで里山を知らなかった私にとって、これが里山との、そして師匠である齋藤光一先生(注1)との出会いでした。98年のことです。
 森の中でのワークは楽しく、毎週のように三輪に通いました。里山の知識と技のすべてを身につけた師匠からたくさんのことを教わり、小さな子どもからお年寄りまで、ほがらかに笑う里山ファミリーと、機会あるごとに鍋や炭火焼きを囲みました。後に清水先生(注2)が論文で発表された植物観察に携わったことも、いい思い出です。
 いつしかリーダーと呼ばれるようになりましたが、2004年夏、腰痛が悪化して次のリーダーにバトンタッチ。5年間通いつめた三輪を後にしました。

薄衣(うすぎぬ)里山隊を発足。  三輪に通い始めて2年目の2000年4月、会員からご実家の里山再生を頼まれ、見に行くと、30数年間ほったらかしの森は昼なお暗い竹の海。しかし何か魅力を感じ、「竹の海に溺れている里山を助けよう」と呼びかけて発足したのが、岩手・薄衣里山隊です。5アールほどの急斜面を対象地とし、真竹を伐採して枝を払い、積み上げて土留めとするワークを年に4、5回、3年間続け、まもなく終息するかに見えました。
 ところが4年目に逆襲が始まったのです。伐採したエリアにびっしりと笹のような竹が出現し、伐採してもすぐに再生します。私たちはこれを萌芽竹と命名し、草刈、萌芽竹退治、竹の伐採を繰り返しました。6年目は3年間畑で育てたコナラのポット苗を移植しましたが、7年目には腰の手術というアクシデントも。東京から遠いこともあり、参加者も徐々に減っていきました。
 そして迎えた12年目の今年、ふと気がつくと苗は若木に生長し、コナラエリアから下の公道まで、立っている竹は1本も見えません。海と思えた竹がなくなることを夢見て、いくつもの難関を乗り越えてきた仲間たちとなしとげた成果です。まだまだ一部分ですが、これからも理想の里山作りに取り組んでいく覚悟です。

岩手の里山にたどりついて。  三輪で里山に出会い、走り続けてきた私がたどりついたのは、薄衣から車で40分ほどの、奈良崎という小さな集落でした。
 定年間近のある日、職場で田舎暮らしを勧める講演会に参加。定年後は私も、と心に決め、住まいを探し始めました。一足違いで他の人に買われてしまったり、なかなか決まりませんでしたが、今の家は、最初に情報を見た時からピンとくるものがありました。行ってみると、古い家ですが田も畑も森もあり、思い描いた通りの場所です。昨年の春に転居し、日本ミツバチの養蜂、師匠に教わった炭焼き、生き物たちが続々とやってくる田んぼビオトープなど、里山暮らしを堪能しています。無農薬、無肥料で育てた米は二俵半の収穫となり、食味診断ではAランクの評価を得ました。
 今回の大震災では、皆さまにたいへんご心配をおかけしました。幸い私たちのところは大きな被害はありませんでしたが、「森は海の恋人」の畠山重篤さん(注3)、八木澤商店の河野和義前社長(注4)など、岩手でご縁のできた多くの方たちが被災されました。この方たちをできるだけ応援していこう。それがもうひとつの覚悟です。こんな男がいることを、酒の肴に笑ってくだされば、何もいうことはありません。

(注1)三輪小学校初代校長。地元の信を集める名士で、三輪フィールドの地権者代表。

(注2)駒沢大学教授でグリーンセイバー検定委員の清水善和先生。

(注3)気仙沼にあるNPO「森は海の恋人」の代表。海を豊かにするための植林や育林活動を続け、カキやホタテの養殖をおこなってきましたが、津波ですべての資材を喪失。町と海と環境を取り戻すために、復旧活動に取り組まれています。

(注4)陸前高田で200年以上にわたって昔ながらの方法で味噌、醤油を作り続けてきた醸造元「八木澤商店」の8代目社長。土蔵造りの工場をはじめ、醸造設備はすべて流されましたが、9代目の通洋さんを中心に再建に取り組まれています。

(2011年6月発行、聚レター117号より)

 

 

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