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◎二宮・竹の里(神奈川)

2015.12.07

二宮竹の里 活動だより(収穫祭2015)

活動日:10月25日

雲一つない秋晴れの日に行われた恒例の収穫祭(芋煮会)を報告する。

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<フィールドから望む当日の富士山>

(1) 食材の収穫

本日は収穫祭イベントの準備のためミカン畑での草刈り作業は早々に切り上げた。

帰りがけに食後のデザート用の①蜜柑を摘み取った。

そのほかの食材は購入品を除いてテラス下の野菜畑にて調達する。

②さつま芋、③里芋、④落花生、⑤生姜など。

ついでに夏野菜の名残り

⑥茄子や⑦パプリカも採った。

畑の脇の ⑧甘柿 もちょうど食べごろで赤く熟れていたので採る。
さらに、林の隅の椎茸栽培場でも秋季の⑨椎茸が出ていた。

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主な野菜の収穫作業を示す。

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(里芋掘り) 

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(落花生掘り)

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(さつま芋掘り)

収穫した野菜類を陳列したところ。

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(2) 本日のメニュー
①芋煮汁(里芋、豚肉、豆腐、蒟蒻、太葱、椎茸)
②焼き芋(さつま芋、里芋)
③ダッチオーブンによる蒸し焼き(茄子、柿)
③竹飯盒によるしめじ炊き込みご飯(コシヒカリの白米、しめじ、白だし)
④生生姜と味噌
⑤柿サラダ(パプリカを混ぜてマヨネーズ和え)
下の画像は出来上がった料理の一部。

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(焼き芋と蒸し茄子)  (柿サラダ、生生姜)

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(蒸し柿のとろけるチーズ巻き)


(3) 特別紹介:竹飯盒によるしめじ炊き込みご飯のつくり方

炊き込みご飯は普通、釜や鍋で炊くのだが、今回は「タケノコ祭り」の

「竹筒すき焼き」でも経験済みの「青竹筒」を使って炊き込みご飯に初チ

ャレンジした。「竹筒すき焼き」用の竹筒は、タケノコや豚肉・蒟蒻等、

食材を多く入れるためできるだけ太い竹を使うのだが、今回は米の炊きあ

がりを速くするため、少し細いものを4本使う(4合分)こととした。竹

は事前に直径と長さを測って容量計算を行うと良い。概ね、直径5cm、長

さ40cmあれば米1合分が炊ける。以下、「竹筒」を「竹飯盒」と呼ぶ。



1)竹飯盒の製作:製作手順の画像は撮影のために別の日に実施したものである。

青竹は中央の節と両側の計3節分が必要である。

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両側はBBQグリルの縁に載せる部分で回転しないように

下側を欠いて平らにする。長さ10cmあればよい。

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次に蓋部を作る。ノコギリで上部を切って作るが、竹に対して直角に

刃を入れると深く切り過ぎて米や水を溜める容量が減少してしまうこと  

から、写真のように斜めに浅く切って左右とも切り込む。

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次に横の部分を切るのだがノミなどを用いて割る。この時、一方側

は完全に切り取らずに竹の繊維をつなげて蝶番のようにすると良い。

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2)米としめじ等の食材の詰め込み

よくといだ米1合分をいれる。

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次に、適当量のしめじ(今回はブナシメジ)を詰める。

味付けには「白だし」を米1合に対して30cc入れる。

竹飯盒の水の量は米の上面から約1cmほどとするが勘に頼ることとなる。

ただし、水がこぼれない様に竹飯盒の縁の高さより1cmほど下が良い。

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蓋を閉めてBBQグリルに平らにして置く。

なお、BBQグリルは先に炭に火を着けておくことが必要。

最初は火力を弱く、暫くしたら火力を強くする。

その方法は十分乾いた枯竹の細割棒を数本、

火にくべて団扇で強くあおげば直ぐに火が着き火力が強くなる。

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下の画像は収穫祭当日のもので、1合ずつ入った4本の竹飯盒である。

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3)炊飯

炭火の量や火力にもよるが、概ね20分位で湯気が出て来る。

同時に泡も吹き出てくるので、この時から火力を少し弱くして炊きあがるのを待つ。

炊きあがりまで30分弱であろう。

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④むらし

炊きあがったら別の場所に移動して数分むらしを行う。 

⑤ご飯

蓋を取り細めのしゃもじでお椀に分ける。

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下の写真は収穫祭当日の炊き込みご飯の出来あがったところである。

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<番外>

竹飯盒の裏側は燃えて炭化していたが、竹飯盒の中の食材が一緒に燃えたり、

竹飯盒の底が焼け落ちて穴が開いてしまわないのだろうか??

答えは「開かない。」である。


理由は、『肉やご飯を煮炊きする時には水 やだし汁が十分入っていて水分が

常に筒内(特に底部)に供給されるので竹飯盒の内部に火が入って燃えることはない。』

である。ただし、うっかりして空だきには注意!!

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以上、竹飯盒による「しめじ炊き込みご飯」の作り方を紹介した。

初チャレンジもうまくいき、アウトドアのテクニックを一つ獲得した感じである。


これを応用して、キャンプ時はもちろん、家庭でのBBQパーティのサプライズや、

はてまた、万が一の災害時のサバイバル生活を余儀なくする時の

煮炊きにも活用できるのではないか。

(もっとも、今はすぐ救助されたり、即席食品があるのでこのテクニックを

披露することは無かろうが・・・。)

収穫祭2015は、「芋煮鍋」を中心に、「焼き芋」、「炊き込みご飯」、

季節の果物等、盛りだくさんの秋の味を堪能して楽しく終えた。

最後に、当日の参加者一同の幸せな笑顔を紹介する。

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(写真左:コナラのドングリとハロウインランタン)
(写真中:葡萄;巨峰)
(写真右:梨)

(作成 : 磯川)
 

2015.01.13

1月10日 二宮フィールド活動報告

Photo

1月10日、二宮フィールドで今年最初の活動が、11名の参加で実施されました。

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2014.08.08

二宮竹の里 活動だより『流しそうめん』

活動日:7月23日

気温35℃を超える猛暑日。青竹の樋に流れ下るそうめんを

青竹の箸ですくってすする・・・。まさに夏の風物詩、いいですね日本の風景!・・・。

冷たい水が顔にかかり涼風が通り抜ける。心底から夏の一日を楽しみました。

これはそんな湘南のリトルヘブン、

二宮竹の里「健康長寿流しそうめん」イベントの美味しい報告である。

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(1)前準備

前日、テラス中央の会場予定場所に水道施設の接続延伸、

樋を仕掛ける受け台の設置

さらにこのイベントの最高の傑作:大型鹿威し(おおがたししおどし)が現れました。

これらの施設を当日朝から作ったのでは製作時間が足りない、

樋を作る太い竹も前日までに切り出しておけば安心。

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(2)当日の最終組み立て/調整

a)樋、鹿威しの仕掛け

朝のミーティング後、早速、樋の竹割や最終組立、

鹿威しの最終調整が始まりました。樋の竹を割る人、節を削る人など。

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ここ、二宮流の樋は上下2段の、かつ右下がり・左下がりの樋。

その仲を取り持つのが大型鹿威し。写真を見ればわかるが、

水・そうめんがうまくポケットに溜まり、下の樋に流すのだ。

そのため鹿威しの調整に時間がかかるのがネックである。

今年もまたまた難儀しました。

今年の原因は受け台の土中埋込み部が緩いため傾いてしまい、

上を合わせれば下がずれてしまう・・・・の繰り返し。

結局、斜竹を打ち込んで強制的に固定化しやっと完成です。

この作業、時間も気になりながらですので、汗と冷や汗ともう限界近く・・・。

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樋に水を流す試運転状況はyoutybeにアップしました。

https://www.youtube.com/user/isomidori/videos

MVI3685をどうぞ。




b)竹食器の製作

ほかの手すきの人は、竹椀・竹箸の製作に取り掛かりました。

竹椀は太い竹であまり深くならないように天地をよく見て切断し

逆竹にならないように注意です。

箸の製作にあたっては少し時間をかけて丁寧に製作することとし、

食い先は舌の感触が良いように先をだんだん細く丸く削ること、

持ち代は指の感触が良いように角を削り変形8角形にすることなどなど。

長さは概ね21cm。良い箸が出来上がりました。



(3)湯沸し、そうめん茹で、薬味刻み、差し入れのおつまみ並べ

装置が完了したので次はいよいよ鍋にて湯沸し→そうめん茹でです。

そうめんは有名な「揖保の糸」。10束ずつ(500g)茹でました。

茹で時間は概ね2分半。状況を見て茹でに入ります。

その間に、薬味(細ネギ、ミョウガ、生姜。

ミョウガはフィールドの物置の裏に生えてきたものも利用)の刻み、

つゆを椀に入れて待ちます。

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また、おつまみは差し入れのものが並べられ、

「みやじ豚のしゃぶしゃぶ」

青摘みミカンジュースの入った「ところてん」や青摘みミカンの「ジュース」。

また、なんと!!「夕張メロン」のフルーツまで・・・。ごちそうさまです。

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(4)そうめん流し、ミニトマト流し

さあ、準備が整ったところで早速、「流しそうめん」のスタート。

随時、差し入れのミニトマトも流しました。箸でつまめるかな??

色のついた「ひやむぎ」も流してみました。

そうめんとひやむぎの違いは??のクイズまがいの話で盛り上がったところです。

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流しそうめんの状況はyoutubeで。

https://www.youtube.com/user/isomidori/videos

MVI3686をどうぞ。



(5)尺八演奏 ミニコンサート

食べ終わった後はおなかもいっぱい、少し腹ごなしのまったり時間が欲しい・・・。

これで3年目(3回目)となる餃子専門店のマスター Y氏にお願いしての尺八演奏会。

我らも還暦過ぎのメンバーが多いことも勘案してくれて美空ひばりの「みだれ髪」、

八代亜紀の「舟歌」などなど。Y氏は人の前で演奏することでトレーニングになる・・・

との謙遜したお話でしたがどうしてどうして素晴らしい演奏をありがとうございました。

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尺八演奏の状況はyoutubeで。

https://www.youtube.com/user/isomidori/videos

MVI3687、3688をどうぞ。


暑い夏の日でしたが、健康に楽しく皆と楽しめました。

以上(作成 磯川)

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2014.08.05

二宮竹の里活動だより『スズメバチの巣駆除奮戦記』

活動日:7月23日

これはフィールド活動の一環として、

ミカン畑のミカンの木にあった「コガタスズメバチ」の巣を駆除した時の報告である。


(1) スズメバチの巣の発見

7月20日(日曜日)にミカン畑の草刈を実施した。

6月末にも実施したのだが日当たりのよい個所は1ヶ月たたないうちに丈が伸びてきて、

特につる性の雑草(カラスウリ、ヒヨドリジョウゴ、クズ、キヅタなど)が

ミカンの枝や幹に這い登る。

刈払機で行うものの幹の近くは手鎌で丁寧に草を取るため、

木の下にしゃがみこんで行う。かなりきつい作業だ。

横に伸びている枝に頭をぶつけないようにヒョイと頭上を見上げると

枯れた草の塊のような物体を発見。

「ウワーァッ!!」・・・・・

小さいが見覚えのある物体だ・・・。

四つん這いで脱兎のように逃げたが、

心臓がドキドキ。汗(冷や汗か)もドッと流れてきたほどで、

びっくり仰天パニックで死んでしまいそうだった。


気持ちが少し落ち着いてきたので離れたところで改めて確認したところ

まだ小さいがあの文様から間違いない。「スズメバチ」の巣だ。

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その日は草刈作業のやる気は失せてしまったのは言うまでもない。

まさか、自分に関係するミカンの木にあったのは驚いた。


(2) 駆除作戦

ミカン畑が立ち入り禁止になってしまうと今後の草刈や8月に行う摘果作業ができなくなる。

11月末の収穫さえおぼつかなくなる。

そこで、「駆除!」と結論をだしたが問題はそのやり方だ。


実は筆者は、昨年夏に「共存の森ネットワーク 関東」の活動

(千葉県市原市創造の森のフィールド)での参加のおり、

広場の茅葺屋根の四阿の梁にあった「コガタスズメバチ」の巣を駆除した経験がある。

学生たちの協力も得て高さ4mほどの梁によじ登って

殺虫スプレーを巣の穴の中に噴霧、駆除したのだ。

この時には、厚手の作業着、かつ厚手の雨合羽、皮の手袋。

頭部は安全帽をかぶりさらにナイロンの防虫ネットを

袋状にして被って肌を露出させない服装にした。


一方、それにしてもあの巣の1m近くを数回往復したし、

その際、出っ張っていて歩きにくかった枝をノコギリで切り落とす等の作業を行ったのだが、

襲ってこなかった。まさに「知らぬが仏」とはこのことだと変な感心をしたものだ。

何故だろうか??

考えてみるに、当日(20日)は当初晴れていたが、

急に太陽が陰ってきて時々小雨が降ってきた日だ。

蜂は雨が降る時の予知能力があるのだろうか。

むやみに外に出て羽を濡らしたら命にかかわると考えたのかもしれない。


たしか、千葉県の時も雨が降りそうな天気で蜂がおとなしかったことを思い出す。

コガタスズメバチの習性・性質かもしれぬ。


(3) 23日に駆除決行

事前に殺虫スプレーを2本購入した。

30秒ほど噴霧できる能力があるが不足して失敗したくないと考えて、

「2丁拳銃」型で突撃することとした。

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闘う前の緊張感はだんだん増大する。

アドレナリンが分泌されてきたのか、着替えている時も心臓が高鳴り

少し興奮気味の自分がいる。


さらに用心のため雨合羽を2枚も着込んでいるから汗も噴き出してくる。

先の戦争においても若い学徒軍人や、

戦国時代の雑兵侍たちの突撃命令前の心理がわかったような気がした。

突入!!

はじめは7,8mのところでいったん様子を窺うが敵の動きは無い。

もう少し近づいて3,4mところまで行くと

巣の入口でずっとこちらを見ている一匹の蜂が見える。監視兵か?

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突然、当方目がけて、スーッと飛んできた。速い。

あっという間に飛んできたので身構えたのだが筆者の上を抜けて飛んで行った。

襲ってきたのではなかった。

「今だッ!!」と、こちらも素早く走って行って巣に吹きかける。

しかし、スプレーの霧で巣の場所を見失う羽目に。

一旦ストップして退却した。

しかし、敵の動きを見ると大量の蜂が穴から出てくるような気配が全くない。

そこで再度、巣の位置と出入口の穴を再確認して突入。

今度は十分に穴の中に噴霧した。勝利!!

着替えから作戦完了まで意外にも約1時間も経過していた。疲れた!!




(4)戦い済んで

a)戦利品

少し離れて観察していたところ、数匹の蜂が「狩り」から帰ってきたのだろうか・・。

巣の異変に気が付き周囲をブンブン飛んでいる。

女王蜂の行方を捜しているのだろうか・・・・。

少し可哀想な気になってきた。

蜂達は数分飛んでいたがそのうちどこかに飛んで行ってしまったが、

あるいは、殺虫成分に触れて死んだのかもしれない。

女王蜂や家族を失ったはぐれ蜂は間もなく野垂れ死にするだろう。


筆者は安全な状況になったことを確信して、

巣球をミカンの枝ごと切りとり戦利品とした。

10cmほどのソフトボール大である。(下写真)

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筆者は、暑さと殺虫スプレーのガスを吸い込んだせいか、

少し気分が悪くなってきたので早々に退散することとした。

が、蜂の同定のために死骸を持って帰ることとし、

木の下を捜したところ大きめの蜂が見つかったのでこれを袋に入れて持ち帰った。



b)蜂の同定

下のテラスで休憩がてら蜂を同定。

スマートフォンでスズメバチを検索して、巣の文様、顔の文様や色を比較した。

どうも巣球が小さいし、蜂も大人しいのでうすうす感じてはいたが、

「キイロスズメバチ」ではなく「コガタスズメバチ」であることが判明。



数年前、この畑に近く、大ケヤキの高い枝に「キイロスズメバチ」が

直径40cmほどの巣を作っていたが、その時は本当にビクビクしながら

下を通過していたものだ。

巣があったミカンの枝は直径5mm程度のものであったので、

これはそれほど大きな巣にはならないことを示していたのだ。



話が逸れるが、筆者は最近携帯電話をスマートフォンに替えた。

電車の中で各種検索できるし筆者の好きな演歌もyoutubeで視聴できる・・・。

それよりも何よりもこのようなフィールドであってもパソコンで検索するものと

同じ環境があることがこの上もなく嬉しい。


以前はスマホは金がかかるしマナーをわきまえない若者が多いので

苦々しく思っていたのだが、「使い方を誤らなければ何と便利な道具よ!」と、

諸手を挙げて賛成派に変わった自分がここにいる。


さて、話を戻そう。巣の中からも働き蜂の死骸が出てきたので、

回収してきた大きな蜂と比較したところ、

体長や太さに大きな差がありこれはどうも女王蜂であるようだ。

スズメバチといえば10mmほどのぶっとい針が衣服を貫通して到達させるとの

恐ろしいイメージでいたのだが、この女王蜂は3mmほどの小さい細い針が

尻から可愛く出ているだけであった。

(下左写真は女王蜂。下右写真は、左の一回り小さな働き蜂と比較すると大きさがわかる。)

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c)巣の中の蜂の子(蛆虫)

スプレーガスで成虫たちは死んだが、中の蜂の子は効かないようだ。

元気よく蠢いている。(下写真)

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なお、巣の外殻を取り去ってこの蠢いている様子を動画サイトyoutubeに投稿した。

https://www.youtube.com/user/isomidori/videos

MVI 3662をどうぞ。

(筆者の投稿ネーム 「山シャイン」でも検索可能。

当ブログの次号「イベント;そうめん流し」と同じ。)

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上写真のようにこの巣は一段だけの巣盤だったが蜂の子がたくさん成長中であった。

ほぼ成虫になる寸前のものから丸々太った幼虫まで64匹が数えられた。

まだ、ほかに卵の状態も数十個あった。

なお、この写真では女王蜂は十円玉の横の死骸。

その左横の成虫3匹の死骸は働き蜂である。

右上にある死骸はちょうど飛んできたので筆者に叩き落とされた「アシナガバチ」の

死骸である。比較してみると面白い。


(5)番外編 「オオスズメバチ」と「クロスズメバチ」

a)オオスズメバチの巣

昨年12月、当フィールドの竹林から「オオスズメバチ」の巣を掘り上げたので紹介する。

春、5cmほどの大きなスズメバチが重爆撃機のごとくの低音でフィールドを飛翔してきた。

刺されてはいけないように注意していたが、

筆者はある時偶然にも土の中に消えたのを目撃した。

(ここは以前、穴を掘ったものの、枝や葉で覆っただけで埋め戻さずにいて

空洞があったところで、筆者はよく覚えていた。)


暫くして、筆者が付近を通ると何匹かが付きまとうようになったので、

「これはやばい!!」と感じた。本当にあの辺に巣を作ってしまったのだ。

地中に巣を作るから「オオスズメバチ」だ。

クワバラ、クワバラ・・・。さわらぬ神にたたりなし・・・。

と夏~秋~冬まで放っておいた。

メンバーにも周知して付近は通行禁止に。


2013年12月15日、もう成虫はいないだろう時期になってから掘り出してみたところ、

案の定写真のような「オオスズメバチ」の巣が。

一番上段の巣盤は掘出し中に壊してしまったがそれでも残りの3段でも見事。(以下写真)

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ラッカーニスなどを塗って長期保管に耐えるようにしたいと考えている。



b)クロスズメバチ(ヘボ)

スズメバチも「人を殺傷させる程の強力な武器を持たなければ、

ミツバチの如く我ら人間とうまく共生できたものを・・・。」と

神のいたずらに無常を感じるのだが、

一方、同じスズメバチの種であっても、「クロスズメバチ」は共生というか、

人間にとって大いにありがたい蜂である。


筆者は岐阜県中津川市生まれ。

この地、あるいは周辺の長野県、愛知県などでも同じように

「クロスズメバチ」を「ヘボ」と呼んで、いわゆる「蜂の子」を獲る地域だ。

地中に作られたクロスズメバチ(ヘボ)の巣を見つけだし、

中の蜂の子(幼虫、蛆虫)を獲るのだが、

かつては貧しかった岐阜や長野の山村での貴重なタンパク源である。

近年、観光地でのお土産物店で「蜂の子」を買えば小さな瓶詰のものでも数千円もする。

筆者および家族はその後、静岡県御殿場市に転居し、筆者は少年時代を迎えるのだが・・。

御殿場の地で蜂の子を獲ることになるとは!!

父親や6歳も年上の兄らから伝授されたのである。

蜂の子の獲り方の概要は以下のとおり。


①トノサマカエルなどを捕まえてそのモモ肉を細い棒に絡みつけて、

田んぼの畔に刺しておく。

②クロスズメバチがそれを見つけると肉塊を口で切って巣に運ぼうとする。

その肉塊に我らが一仕掛けをする。

③母親からもらった少量の真綿
(昔は布団を家で打ち直していたので各家には必ずあった。)

を細く指で撚ってその肉塊に絡ませる。

長さは数センチである。

この時、クロスズメバチと指先に軽い接触があるのだが刺されることはなかった。

④働き蜂はその肉塊を咥えて帰巣が、

重いため数十メートルほど飛んでは木などに留まって休む。

我らはそれを見失しなわぬよう田んぼを突っ切りブッシュをかき分け

汗だくになって数キロを追跡していく。

途中、比較的大きな川(喜瀬川など)を渡られたらギブアップ、

諦めるしかないがそれでも遠回りして追跡した時になんと、

偶然にもまだ飛んでいて追いついたことがある。

この方向勘が当たった時は何とも嬉しかった記憶がある。

独りだけでは無理で友人や兄・その友人らの協力のたまものだ。


⑤働き蜂が穴の中に入るのを見届けると自分だけの目印を付けておいて

いったん家に戻る。花火(煙の出るもの)やセルロイド(燃焼が激しく煙も多く出る)は

もちろん、懐中電灯やスコップ、戦利品を入れる箱や袋を準備して出発する。

時季は夏終わりころから初秋にかけて遊んだような気がするが、

巣も大きくなるのがこの時期だから合っている。


⑥そして、夜になって(蜂は夜には動きが緩慢)花火に火を付け

穴の中に突っ込み十分燻す。頃合いを見て土を掘ると中からスズメバチ特有の

数段になった巣が現れる。

弱っている成虫を払い取り除き4,5段の巣盤だけをいただくのだ。

この時、女王蜂や働き蜂が間もなく死んでしまうことなど全く考えなかった。


⑦家に戻りピンセットでその幼虫を取り出し、

それを母親に炒ってもらって食べた。

本当にうまかったなと感じている。

栄養もたっぷりと思う。(山のミルクであろうか。)


⑧獲った時まだ巣が小さかったりした時は木の巣箱に巣ごと入れて

軒下の壁に掛けておく。

そうすると、けなげにも巣を再構築して増殖してくれる。

(再び頃合いを見て蜂の子をかすみ獲るから本当に悪い人間どもだ!)


c)雑感

このようにクロスズメバチ(ヘボ)には刺されても腫れ上がるようなことはなかったので、

人間とはうまく共生ができるようだ。

生業でやるにはいわゆる「養殖/養蜂」すれば苦労ないと思われるが、

実際はなかなかうまくいかないかもしれぬ。


Netによれば危険な「オオスズメバチ」、「キイロスズメバチ」などを管理養殖して、

これらの「蜂の子」を高く販売している例や、

キイロスズメバチの成虫を焼酎漬け(強精酒になるのか?)を高く販売している例がある。



(6)スズメバチの危険性

①刺されたら速やかに応急処置を行う。

あれば毒吸引器「ポイズンリムーバー」で蜂毒を吸引する。

無い場合は指で蜂毒を絞り出して水道水などで流すようにする。

応急処置で被害が軽くなるが、それでもだいぶ大きく腫れるようだ。

いずれにしろ、病院にて手当を受けなければならない。

したがって、イベントの主催者、リーダーたる者は常に悪い事態を頭に入れるほか、

消防署や病院への連絡、応急処置などが落着いて行動できるよう

トレーニングしておかなければならない。


②長期的には蜂毒によるアレルギー体質に転換してしまうので

二度目に刺されると、いわゆる「アナフィラキシーショック」で死亡することがあるので要注意。


③したがって一度刺された人はそれを常に頭に入れて、

「緊急補助治療医薬品」(商品名:エビペンなど)を常備するとともに、

周囲の人にも周知して、万が一、刺された場合は速やかに注射を打ってやる。

(15分~20分以内にともいわれており緊急を要すことである。)

このような時は救急車を待たずして皆でできる限りの応急処置をすることが肝要である。  


④スズメバチは突然、人を襲うのではなく、巣に異常に接近したり、

草刈/枝落としなどの破壊行為が近づくと警告行動を示す。

山に入るときは(公園などでも)ボーッとしていないで

周囲の状況変化をできるだけ早く気づくよう目や耳を働かせていることが肝要。


⑤スズメバチが近づいてきても手で払ったり叩いたりせず、

姿勢を低くして静かに行き過ぎるのを待つ。


⑥スズメバチのいるエリアでは極力白色の服装が良い。

香水や整髪剤などはつけないほうが良い、

缶ジュースの缶の飲み残し果汁が残っているとその中にいることもあるようだ。

覚えておきたい事項である。


⑦コガタスズメバチのようによほど巣に危害を加えるような事態(草刈/枝落とし)

にならないと襲ってこない大人しい蜂がいる反面、

地中に巣があり存在に全く気が付かず半径約3mの危険ゾーン内に立ち入ってしまうと

襲ってくるオオスズメバチなど、いろいろな危険があることを知って、

その状況に応じた行動をとれるように考えておくことが肝要。



いずれにしても、自然保護活動や植物/野鳥等の自然観察にあたっては

安全第一で楽しみたいものである。ご安全に!


以上 (作成 磯川)

2014.08.04

二宮竹の里 活動だより「タケノコ祭り」

活動日:6月14日 当フィールドは2002年に活動をスタートして今年で13年目。

この「タケノコ祭り」はこの梅雨時にあっても2回、雨で中止となったものの、

今年は第11回を数える長期継続のイベントである。

今年は5月末に30℃以上を記録するなど異常な初夏だったが、

6月に入るとようやく梅雨空に変わった。

したがって今度は天気を心配したが、

前日から梅雨明けのような上天気となり当日も再び31℃の真夏日となった。
以下にイベントの内容および竹の筍について記す。


(1) 会場設営

当日は暑くなるのでタープを張り日蔭を作ってこの下で料理を囲むこととした。

そのほか、周辺の草刈り、椅子やテーブル板の配置を行い準備を行った。


今回、新たなお客様が参加するので、

当グループの過去の活動状況を収めた「写真アルバム」や

活動中に制作した「竹紙ハガキ/栞」も展示して紹介することとした。


また、午後の時間に子どもたちに「竹細工」で楽しんでもらうべく

事前製作の「花いれ」と「ダックスフンド」も展示した。

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(2)タケノコ(真竹;マダケ)の採取

今年は2月の大雪でタケノコの出現が少し遅いようだったが、

幸いタケノコも順調に出現してくれた。

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(3) 今年のタケノコ料理

お椀や箸の食器は青竹で製作した。

採ってきたタケノコの外皮を剥く作業には、

初めての体験であろう子どもたちにも手伝ってもらった。

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タケノコの採れたてはえぐみが少なく米のとぎ汁などによる「あく抜き」は必要ないものの、

短時間のお湯による「下茹で」は行った。

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以下に当日の料理を記す。

<タケノコカレー>

タケノコ+カレー+みやじ豚肉+ジャガイモ+タマネギ+人参


<タケノコ鍋(竹筒)>

タケノコ+みやじ豚肉+シイタケ+モヤシ+ニンジン

太い竹の鍋に具材を詰め蓋をして竈の直火で煮る

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<タケノコ天ぷら>

タケノコ+玉ネギ+天ぷら粉

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<タケノコBBQ>

タケノコ、みやじ豚肉(ばら肉)、ジャガイモ、ズッキーニの鉄板焼き(レタス、湘南レッド添え)

<タケノコホイル焼き>

皮付きのままアルミホイルを巻いて竈の「直火」にぶち込んで蒸し焼きする。

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その他、岩船産コシヒカリを鍋で炊いて前述の「カレーライス」。

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また、「みやじ豚(ロース)」の軽く炙りステーキ。

*みやじ豚とは。:藤沢の養豚家の商標で横浜/湘南周辺では有名なブランド。

肉質が柔らかく適度な脂分がありきわめておいしい。

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上写真はパーティ中の一コマである。



(4)竹細工

パーティが盛り上がり午後の竹細工の部の時間が少なくなってしまった。

参加者からの強い希望もあり「竹細工」の指導方々を行った。

作品は細工が容易な「花入れ」を作ったが、

それを手渡すと大いに喜んでくれたものだ。(下写真)

Pic12 Pic13



(5)タケノコ(筍)について

a)タケノコの概要

日本の主な竹にはモウソウチク(孟宗竹)、マダケ(マダケ)、ハチク(淡竹)がある。

タケノコが生えてくる時期には差がありモウソウチクは3月~4月頃、

マダケは6月初旬頃である。

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モウソウチクは地面に少しだけ先が出た頃のタケノコを採取(筍掘り)するが、

マダケは人の背丈ほども伸びたタケノコの先の方の0.5~1mほどの

柔らかいところを採取する。(上写真)


モウソウチクのタケノコの外皮には粗毛がびっしりあるが

マダケにはなくツルツルしているので利用しやすい。

昔はおにぎりやおかず等の包み紙の代用としても利用したものである。

Pic15




タケノコの生長は極めて早く、漢字の「筍」は10日間を意味する「旬」から来ている

などの説もあるようだ。

まさに10日もすれば若竹になってしまうのだ。


そして2、3か月もすると立派な竹の姿で枝葉が茂り周辺の日照を阻害する厄介者になる。

この頃の若竹は茎も極めて硬く(木質化)、伐るにはノコギリやナタが必要となる。



b)タケノコを使って竹紙を作る

当グループでは2006年から竹の有効利用の一環として「竹紙」を作ってきた。

原料はまさにタケノコでこれの採取適切時期は「芒種」の頃(6月6日頃)。

もっともタケノコの生長には差があるので、高さ、太さ、硬さが適切なものを

選んで採取するが概ね下の写真のような枝が少し出ている程度までがよい。


竹紙製作の過程は当グループの「竹紙ハンドブック \500」に全て載っている。

下写真が完成した「竹紙」だが、「絵葉書」や「栞」に利用してみると

素朴な和紙の風情がすこぶる良い。

Pic17_2 Pic16


以上  (作成 磯川)

2014.06.17

二宮竹の里 活動だより「クヌギ苗木の植林活動と蘊蓄」 

活動日:4月27日/5月10日

当フィールドはスダジイ・アラカシ・ヒサカキなど常緑の高木・中木が多くて、

反対にクヌギ・コナラ・ケヤキ等の落葉高木が少ない。

そのため林内は冬も鬱蒼としていて陽光が十分には届かない場所も多い。

そこで、森林環境を転換・若返りさせることとし、一部のエリアで常緑樹を除伐し

そこにクヌギ・コナラの苗を植えるプロジェクトをスタートさせた。

(1)ドングリ播き第1弾(2009年)

5年前の2009年、Kさんをリーダーとしてプロジェクトがスタート。

早速Kさんは同年10月、クヌギのドングリを100個ほど拾い集めて来て

フィールドテラスの隅の苗床にドングリを播いた。

*遺伝子のかく乱という事態を考慮するとドングリは当該地域産が理想であるものの

今回は県内約35kmあたりのもので問題はないと考えた。

翌年2010年春、発芽した苗を3年ほど育て、

高さ50cm~1m級に生長したので昨年2013年1月・3月、

まだ葉が展開していないうちに約20本を移植した。



(2)ドングリ播き第2弾(2012年)

2012年10月、再び拾ってきた100個ほどのドングリを播き、

翌春発芽した苗をこの時は一旦鉢に植替えて1年間育てた。

今年2014年、高さ30~50cmほどに生長した苗を4月27日、5月10日、

約20本を移植した。下は鉢の中で育ったクヌギの苗である。



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4月27日および5月10日の植え付け後の写真。


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また、同時にコナラ・イチョウの苗も数本「山の神様」の祠の脇に植えた。


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(3)ドングリ播き第3弾(2013年)

昨年2013年も100個ほどのドングリを苗床に播いた。

今年、2014年2月の大雪の影響であろうか?

少し発芽が遅れたようだが5月初旬には一斉に発芽してきた。

(写真は6月時点の苗の状況)

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今後、一部は鉢上げして育てて来年早春に移植する考えである。




(4)クヌギのドングリについて

①ドングリの砲弾型についてその理由を考えてみた

ふつう、「種」というと丸い粒を想像する。

しかし、コナラ、マテバシイのようなドングリ(これは種子=果実なのだが)は

先が尖った「細長い砲弾型」である。

一方、クヌギはそれとは異なりずんぐりと丸く大きい「球体」。

まさにこの形こそが「団栗:ドングリ」。

形や大きさが異なるのは地表に落下したあと、

その子孫が繁栄するための拡散戦略が違うものと考えた。

ドングリが「小さくて軽ければそのまま直下に軟着陸のタイプ」、

「重量がありドスンと落ちてさらに大きく撥ねて拡散するタイプ」など・・・。

クヌギのドングリはまさに爆撃機から落される大型爆弾の如く

枯葉の上にドスンと落ちて撥ねてさらに斜面を大きく転がって拡散させる戦略と想像した。

一方、別の拡散戦略とする試みもあり、リス/ネズミ、

カラス等の小動物に地中や洞に運んでもらい「埋蔵貯蔵」させ、

あわよくば芽を出させる方法もあるようだ。

しかし、いずれの戦略をとってもいったい何個が芽生えることができ

何本が成長できたのか?

その成功確率は全く小さく自然の掟の中では生存競争が厳しい。



②ドングリの選別

秋、母樹の下に落ちているドングリは速やかに播いてやることが肝要。

長期間放置(10日以上も)すると乾燥して発芽能力を失い枯死する。

また、地表に落下したドングリにはすぐに「虫類(蛾の幼虫など)」が侵入し

喰われてしまう。したがって、播く前にドングリの健全度判定を行うが、

水を入れたバケツ等に一旦浸水させて浮上するようなものは取除くことが良い。



③ドングリを播く

ドングリは先端から根が出るので横に置いて播いてやる。

土は薄くかぶせる程度でよくマルチング代わりに枯葉等をかぶせて

雨等があたる場所に置いて極度に乾燥させないよう管理する。

下は2012年10月に苗床の箱に播いた時の写真。

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④ドングリの発根/発芽の形態

ドングリの発芽について、筆者はこの年になってあらためて少年になったような

目と気持ちで観察してみた。

ドングリも野菜の種と同じように発芽して根が伸び双葉が地上に出るのかと思いきや、

ドングリ自体は地中に残ったままで尖った側から根が出て、

そのあと根との境界から幹が上に伸びるのだ。


下は今年5月19日の発芽後の幼苗の写真。ドングリは土の中にあった。

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別のドングリを上方から撮影したものが次の写真。

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2本の柄とドングリがまだ繋がっておりドングリは左右二つに割れてはいないが、

いわゆる双葉に相当するものが中にある。

このような発芽形態を「地中子葉型(地下発芽)」と呼ぶとのこと。

地中の双葉は、葉が展開せず光合成も担っていない。

しかし、デンプンの塊でできた養分を持っていて直接、

根や幹に供給できるので苗は急速に大きくなることができる。

クヌギのドングリは、着物をはだけて大きな乳房を赤ちゃんに含ませているような

肝っ玉母ちゃん?の姿を彷彿させる。生存競争を勝ち抜くための最初の一歩である。


⑤クヌギの苗の育ちは超特急

クヌギのドングリは秋に播いても発根せずそのまま休眠してしまう。

そして、冬季の低温(5℃以下)を経てドングリが熟成すると(後熟という。)、

翌春に地温の上昇に伴い休眠が打破され初めて発根/発芽する。

クヌギのドングリの発芽はしばしば遅れることが多い。

筆者は今年4月中旬、近所の鶏が来て苗床を突っつき掘り返されて外に放り出された

ドングリを見つけたのだが、この時、まだ何の変化もなくもちろん根も出ていなかった。

まだ春眠暁を覚えず!で眠ったままなのだ。

(その時すぐに埋め戻しておいた。)

これが前出写真のように、その後わずか1ヶ月ほどで直根が10cm以上、

幹も20cmほど伸張した幼苗を見て、すごいスピードで生長したものよと驚き感動した。

(憎っくきはあの鶏だがドングリ観察の機会を提供してくれたことは喜ぶべきか。)

一方、コナラ、ミズナラ等のドングリの発根/発芽はクヌギとは異なる。

秋に地面に落下するとすぐに発根して地中に短い根を伸ばして越冬。

春になってクヌギと同じように根の境界から幹が伸びる。

しかし、その生長のスピードはクヌギと較べると遅く、

前出の移植したコナラの苗は5月中旬時点では、

まだ高さ10cmほどのか細い赤ちゃん苗の姿である。

母親のミルクタンクが小さいのか?



⑥クヌギのごぼう根とスギ・ヒノキのひげ根

クヌギの根は「ごぼう根」といわれるように太く長く伸びた直根が特徴である。

これは、広葉樹は深根性/直根型の根を持ち深部の水分を求めて

主根が速く伸びる特性である。

したがって、苗床で数年も放置しておくと1mほども深く伸びてしまい、

移植のため根の下部を切らずに掘り出すには容易ではない。

そのため苗床で発芽させた幼苗は、

ビニールポット等に一旦植え替えて「鉢上げ」をして育てる。

こうすることによって根群が増加し成長も促進される。

運搬もポット苗のまま行い根を乾燥させないように留意する。

今回クヌギの苗の運搬にあたっては地元ミカン農家の方からいただいた

貴重な竹製「ミカン運搬用大型背負い籠」(高さ75cm×径45cm)を用いて

背負って運んだ。(下写真)

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反対にスギ・ヒノキ等の針葉樹は浅根性の「ひげ根」である。

鉢に植え替えず苗畑でそのまま数年育てて、

移植時に畑から掘り出して「裸苗」で運搬して植え付けることが可能である。



(5)番外の話

クヌギ/コナラは生長が速く人々の生活に極めて便利な樹種であるので

昔から生活林、すなわち里山には不可欠な木であった。



以下に、クヌギの原木の利用例を示す。


①シイタケ栽培用のホダ木の原木と萌芽更新の発生

クヌギは適度な厚さのコルク質の樹皮があり、

シイタケ菌が育つには相性の良い最良なホダ木である。

クヌギは生長が速く苗を植えてから10~15年ほどで太さ10cm程の原木に育つ。

伐採する時は切株を残しておけばここに「ひこばえ」が生える(萌芽更新という)ので、

このうち勢いの良い2,3本を残して(もやわけ作業という)生長させる。

これも再び10~15年ほどで再び利用できるわけである。


すなわち10~15ヶ所ほどの伐採地を順番に利用することができれば

毎年伐ることができて、10~15年ほどで一巡させた時には

10~15年前の伐採地は復活しているのだ。

これで永久的に利用できる理屈である。


かつて人々は里山をこのように循環的に利用して生活して来たのだ。

(下は、今年植菌したシイタケ栽培場のコナラのホダ木の写真)

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②薪/木炭などの燃料への利用

わが国の燃料の変遷を簡単に触れる。

江戸時代あたりの人々の生活の主燃料は「薪」であった。

一方、その時代では小規模ながらも製鉄/鍛冶/窯業等の火力を必要とする産業では

大量の薪が必要となった。

そのためそれらの産業が盛んな地域の木は大量に伐り倒されて、

「はげ山」になってしまったとの例も多い。

(燃やすと火力の強いアカマツなどが特に重宝された。

しかし、萌芽更新をしないマツ類は伐採後に植林を継続して行かないと

結局はげ山に変貌してしまうのだ。)

時代は移って、戦後、特に1960年代(昭和35年~)以降、

わが国は重工業中心の高度経済成長時代に突入したが、

それに伴って人々も都市に出てきて生活するようになった。

大規模化した産業界で使う燃料は、

膨大な量の海外からの石炭・石油・ガス等に転換されるとともに、

動力はその化石燃料を使って発電した電気で動く大型モーター等に代わった。

人々(特に都市サラリーマン家庭)の生活も変化し所得もあがるようになると、

こぞって電化やガス化を求めて安全・快適・便利な生活に換えて行った。

(これがわが国の燃料革命であろうか)

このためこれまでの燃料の薪炭は使われなくなり、

燃料としての価値を失ったのである。


下は、わが国の木炭生産量の数字である。

 ○ 昭和26年 220万t
 ○ 昭和50年   7万t
 ○ 平成16年   3万t

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

現在は限定的に使用されている特殊な例として、

昔ながらのやり方で行うことが必要なわが国独自の伝統文化継承の分野で

薪/木炭が使用されている。

その代表的なものは、

 ○ 伝統文化:茶の湯炭(ゆずみ):菊炭(きくずみ)
 ○ 伝統料理:うなぎ/焼き鳥の炭火用炭:備長炭(びんちょうたん)
 〇 伝統食品製造:豆腐の豆乳を竈で煮込む時の薪;クヌギ薪

であり、以下に示す。



ⅰ)『茶の湯炭』菊炭について

茶道界では木炭は必需品である。

お茶の点前の前段階には炭をつぎ足す「炭手前」という所作がある。

使用する炭は「菊炭」と呼ばれる

写真の如くの菊の花の文様が現れた放射状の均一な

細かい割れ目ができている炭である。

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太さ・長さ・形が夫々異なる何種類かの菊炭

(それには夫々名前がつきその役割や配置場所が決まっている。)を

「炭斗(すみとり;茶室に炭を運ぶための器)」に入れて丁寧に運ばれる。

下は炭斗の中に正しく配置された菊炭である。 (裏千家/風炉用)

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この時の持ち運び方、さらには炉に炭をつぎ足す時の所作一切、

お客の観賞に堪えうるような振る舞いを行うよう決められているようだが

これも茶道の重要な要素になっている。



この炭の原木は主として「クヌギ」で、焼いた時に美しい文様を現わすとともに

炭質が適度に硬く熱分解しやすいとのことでよろこばれるとのこと。

(ミズナラ、コナラ、カシの原木も使う。)


良質な菊炭を作るためには木炭生産者の高度な製炭技術

(温度や時間の管理ほか)も必要であるが、

何よりも優れた原木の育成/生産の努力が重要である。

クヌギは前述したように生長が速く、

菊炭には細い幹を使うことから8~10年程度で利用できるようだ。

やはり萌芽更新させて持続的に利用するのだが、

真円に近く真っすぐな幹に育て上げるには傾斜が緩く肥沃、

かつ日あたりの良い場所に苗木を植えて適切に管理し育てることが重要とのこと。



ⅱ)『備長炭』について

うなぎを焼くのに有名なのは「備長炭」。

これは叩くと金属音がするほど硬い炭(白炭)であり、

原木は「ウバメガシ」が有名である。

もっとも「カシ類全般」を使い「ナナカマド」を用いたものは極上品であるといわれていて、

備長炭は火力が強く火持ちが良いので炭火焼き用いられる。

しかし、着火が容易でなく湿気等に留意する必要があるなど取り扱いが難しいようだ。

また、現在は偽物も出回っているなどから和歌山県産の備長炭は

「紀州備長炭」とブランド化して差別化を図っているとか。




余談になるが、ホームセンター等で安価で販売されている木炭は、

人件費が安い外国産、とりわけ中国産(禁輸産品のはずだが)が多いようだ。

しかし、中には有害物質が含有しているのではないかと心配されBBQや

水道水の浄化などでは使わない方が安心だ。



木炭製造者は、菊炭製造など高付加価値商品を製造する努力はしているものの、

わが国では結局輸入物に押されて木炭の市場価格が低下しており、

生産者の生業を継続するには容易ではないとのこと。



我々消費者は彼らへのエールも含めて多少高くても

安心できる国産の木炭を購入すべきと考える。



ⅲ)『クヌギの薪』について

先日、6月7日、NHKTVが京都嵐山にある有名老舗豆腐製造販売店「森嘉;(もりか)」を

紹介していた。かつて筆者の実家は「豆腐屋」であって自身も豆腐を作ったこともあるので、

「とうふ」!と聞こえただけでTVに釘づけになってしまったわけだ。


ここでは豆乳の煮込みにあたって、

昔ながらの竈で薪はクヌギだけを燃やしていると言っていた。

クヌギの薪は適度な堅さがあり火持ちも良く煮込みの温度管理もしやすいとのことだ。



便利だが金属的で人間味が無い電気やガスでは心のこもった伝統商品ができないとの

考え方で、代々かたくなまでに踏襲してきたのだろうと察する。

しかし、自信に充ち溢れた顔で王道を堂々と歩いている姿は大いに好感が持てた。





以上が、長ったらしくもなった、我らが行っている

クヌギの植林の紹介とクヌギ談義の一部である。


この我らの植えたわずかな数の「クヌギ」が今後何十年後かに

何かの役に立っていれば幸いである。

(昆虫や野鳥などによろこばれるのは間違いない!!)




そして、何百年の前から日本人が連綿とクヌギと付き合いながら生きてきたことを

考えてみるにつけても、

「クヌギ:橡/椚/国木・・・たかがクヌギ!されどクヌギ!恐るべし! 」

ということで、クヌギには深い愛着が湧くのである。




以上  (作成 磯川)

2014.05.07

二宮竹の里 活動だより(閑貞桜:桜守の話)

活動日:4月吉日

本文の記述時(5月GW後半)、桜は北海道あたりで咲き出して各地で話題になっている?だろうか。

桜のことについては、全国の有名な桜の名所も数知れずあり、また有象無象の輩の蘊蓄語りも
枚挙に遑がないほどで、もううんざりの感もお持ちだろうが一寸辛抱して読まれたい。


当フィールドの片隅に、知る人ぞ知る「原の閑貞桜」の分身が植えられている。
まだまだ成長過程だが今年もたくさんの花が咲いた。(以下画像)

1_22_2

本物の「原の閑貞桜」は残念なことに2011年に枯死してしまったようだが、

当フィールドにその桜の子孫が植えられたいきさつを紹介する。


(1)原の閑貞桜(はらのかんていざくら)とは

(筆者は本物の初代「原の閑貞桜」は見ていない。netのdataに頼る。)

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(この画像は「長野県信濃町観光協会HP」から拝借した。

2010.4 撮影のものであるが、満身創痍・枯死寸前の画像であろう。涙・涙である。)

場所:長野県信濃町平岡原

名前の由来:江戸時代中期(享保年代;1730年頃)旅僧の「閑貞」がこの地に庵を結んだ時、手植したものらしい。
推定樹齢280年。
『「閑貞」は身の丈六尺の巨漢。由井正雪の孫で倒幕勢力の一味とも見られている。

赤穂浪士が主君の仇を討ち(1703年1月)泉岳寺に引き上げる際に酒屋の

奉公人でありながらも4斗樽の酒を振舞ったというエピソードもあり。

しかし、当時の幕府の取り締まりの目厳しく江戸を逃れて信州に入りついに

当地にて仏門に身を投じた。』とのこと。

この桜の背後には「閑貞」の墓も残っているそうな。

桜の木:形状は根元から1.5mの高さで東西に主幹が分かれ樹高、幹回りは約6m。
エドヒガン系シダレザクラ。

長野県の天然記念物に指定(昭和42年)された。
しかし、2005年頃から樹勢衰え始め2011年5月に枯死。

現在指定は解除された。

現在、隣接してクローン枝の接ぎ木による二代目が生長しているとのことである。


(2)当フィールドに植えられた経緯

作家ニコル氏が「アファンの森財団;長野県の黒姫の森を守るために財団を設立」
したことはご存知と思うが、この「アファンセンター」と閑貞桜の地とは同じ町内で

あるからして、氏もこの桜を能く愛でたであろう。

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前述したようにこの桜は近年樹勢が衰えてきたため信濃町行政や町の観光協会は

救済/復活に乗り出し、樹木/植物に関しての技術集団である「アファンの森財団」に

その手立てを要請したのだろう。

そのことからわがNPO「聚」のメンバーの樹医や、あるいは樹木医等の専門者に

声がかかり色々と治療に取り組んだのだが・・・。

数年の取り組みの結果、しかし結局、老木でもあって時すでに遅し!
であったのだろう、効果なく復活はならなかったようだ。

だが、まだ元気なうちに子孫を残すべく手を打ちクローン枝を生育していたようだ。
当時、アファンの森の活動にも参加していたメンバーがその1本を預かってきた。

7年前の2007年のことである。

苗木は早速、フィールドの片隅の日当たりの良い場所に植えられたのである。

今思えば、これほど速く育つとは予想だにしなかったのだが、当地は温暖なうえ、
我らの水やり、施肥、整枝等の世話をこまめに行った結果であろう、

ぐんぐん育って現在に至っている。


(3)クローン閑貞桜の画像

①移植時は高さ1m、直径1cmに満たない程の苗木が3年後の
2010年4月には人の背丈程に成長して初開花した。

初めての花ゆえ、花房は全部で十数個ほどしか咲かなかったが、

誠におめでたきことである。

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②翌年2011年4月、さらに幹は成長して前年の倍ほどの花が咲いた。

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③昨年2013年、この年は全国的に桜の開花が早かった年であるが、

当地でも3月22日には花が咲き、その数はもう数え切れないほど咲いた。

幹も太く成長して高さは人の背をはるかに超えた。
 

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花を観察すると、少し小ぶりだが花びらの先が淡い桜色を呈している。

そして下向きに恥ずかしそうに咲く風情はまるでリンゴのような赤いほっぺをした

あどけない信濃っ子童女のようであろうか、あるいは、ちょっと視点をかえてみると

このはかなげな感じは、信州の凜とした空気に育ったつつましやかだが

芯が強くしっかり者の大人の女性のようでもある。

かつて、信州松本で青春の一時期を過ごした筆者としては思い出がよみがえり

実に好感の持てる桜と感じている。


④本年2014年4月1日  下の画像のようにさらにたくさん咲いてくれた。
今後、数年後にはもっと大きく咲いて欲しいと思う。

能く有名な一本桜が滝の如く流れているかのように咲いている映像を目にするが、

当地の閑貞桜もそれに匹敵する姿にならんことを期待する。

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(4)番外:当フィールドのシンボリックツリーのヤマザクラについて

当フィールドの斜面の中央に大きなヤマザクラがある。
2002年、フィールド設立当時は数十年の間、繁茂してきたマダケに激しく押されて

息も絶え絶えの状況にあったのだろう、枝も能く伸ばせないありさまであった。

しかし、我らがマダケを伐採除去等の活動整備が効を奏したようだ。

日当たりが良くなったのであろう、年々樹形も大きく生長し毎年4月の初めには

見事な満開の花を見せてくれている。(以下写真)

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今後も、我ら桜守!がますますこまめに手入れをせねばと思っているが、

さらに各季節を彩る樹木/花木/野草にも焦点をあてて活動を進めたい。

以上 (磯川 作成)

二宮竹の里 活動だより(野草を天ぷらにして食し春を体感する話)

活動日:2月23日/3月8日/4月12日

当二宮・竹の里フィールドでは、春いちばん先の2月頃に出て来る「フキノトウ」に始まり、
3、4月の野草・山菜・木の芽/葉等を天ぷらにして食するイベントが春の習わしに

なっているので紹介する。


(1)フキノトウの天ぷら

今年は二宮在住のメンバーが「自分の畑の土手から採ってきた。」という
まさに二宮地元産の「フキノトウ」を持って来てくれた。

早速、天ぷらにして昼食のおかずにしたが、野草/山菜類の天ぷらを皆で食すると、

「旨い!。おいしい!」の連発で話も弾み、「今年も早くも春が来たな!」と実感できるのである。
(以下写真)

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「フキノトウ」は独特の香りとほろ苦さがあるが、この苦みが我ら大人の口には

すこぶる良く合い、体をシャキッとさせてくれるようだ。

冬眠から目覚めた熊も最初にフキノトウを食べるという・・・・。


<ここにあらためて、フキおよびフキノトウについて記す>

①成長が速く生命力旺盛な野草。採取に楽なように身近な畑に移植などしようものなら
数年で一面にはびこってしまい退治に一苦労するほどだ。

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②「フキノトウ」を食すと体の新陳代謝を促進してくれて、冬の体から春の体に目覚めさせてくれる。

このことで世に言う「デトックス効果」や「アンチエイジング効果」が期待できるというが・・・。

また、花粉症にも効くとかいわれているが・・。(個人差もあるので何とも言えない・・・。)

③「フキノトウ」に含まれている「フキノトシン」は発がん性物質と言われている。
また、含有している植物アルカロイドは大量に摂取すると下痢等を起こすことがあるという。

おいしいからと言ってむやみに大量に食べるのは注意だ。

④毒草の「ハシリドコロ」(ナス科)は地中から出てきたばかりの姿が「フキノトウ」に
似ている(画像で確認して下さい!)ので採取には要注意!

※『世間では「山菜」や「キノコ」等の採取の季節になると、
「そっくりな有毒なものを採ってきて食してしまった。」事故が後を絶たない。

猛毒性の植物を食した場合、命の危険にも及ぶこともあり、

採取にあたっては細心な慎重さが求められる。

また、自信が無い時は勝手に判断せずに知識を十分持っている人に見てもらうことが肝要である。』


(2)突然のゲスト来訪に野草の天ぷらで「お・も・て・な・し」

当日、突然、U大学の女子学生3名が初参加して来た。
ミカンの木への施肥作業を手伝ってもらったお返しに野草の天ぷらを食してもらうこととした。

食材はフィールドに自生している「フキノトウ」をメインに、この時季ちょうど出てきた「春シイタケ」、

林に咲いていた「ヤブツバキの花」、ミカンの木に採り残した「寒ざらしのミカンの皮」のほか、

畑で栽培中の「ナノハナの蕾」や「ニンジンとその葉」の春野菜も添えた。

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学生さん達はまさに現代っ子。「フキノトウの天ぷらは初めて食べました!こんなにおいしいとは!」と、

半分お世辞!?とはいえ日頃はラーメンだ、パスタだ、スイーツだ・・・などが常態の彼女らには、

野外での素朴な野草の天ぷらがまた格別のものと感じてくれたようだ。


(3)春、うららかな日の昼のおかずは野草/山菜の天ぷらと和え物で

桜の花の盛りは過ぎて葉も出てきた頃だが、まだ名残りの花は咲いている
そんな雰囲気のうららかな春の日だ。

今日はシイタケの植菌とミカンの苗木の植付けなど汗だくの作業日であった。
昼は野草/山菜の天ぷらや和え物等のおかず作りに女性陣が頑張ってくれて、

山菜摘みにあたっては野草や漢方の植物にも詳しいメンバーが加わったことで、

これまでとは違う食材が採取された。

当日の食材と料理を以下に記す。


<天ぷら>ハコベ、スイバの花穂/茎、ノビルの根/茎、ノゲシの根、タンポポの花、
スミレの花/葉、ハルジオンの花/茎、マユミの若葉、アケビの芽、ハリギリの若葉、

ツルドクダミの芽、スイカズラの芽


<おひたし/あえ物>ノゲシの葉のオーロラソース和え、ウシハコベのからし和え、
タンポポの葉の胡麻和え、


<味噌汁>ミツバとノビルの葉
<生みそ>ノビルの根

以下に、天ぷらの写真を示す。

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ちょうど前週に聚本部主催の「野草講習会」に参加したメンバーがいて、

早速、和え物やお浸しなど新たなメニューに挑戦してもらった。

その時の料理の要領やレシピの一部を紹介する。

①野草はきれいに洗い水をきる。

②野草の和え物は茹でてから使う。

③お浸し用は塩を入れて茹でて、水に浸しあく抜きをする。

④和え物のソースの例

胡麻和え・・・・・・・白すりごま1:しょうゆ1:砂糖1
からし醤油和え・・練りからし1:しょうゆ2
オーロラソース・・・マヨネーズ1:ケチャップ1

⑤くせのない野草は醤油ベースのあっさりした和え物が合う。

⑥苦味や香りの強い野草はマヨネーズで和えるとまろやかになる。


(4)「スイバ」を食した時、「スカンポ」で話題となる

「スイバ」のことを別名「スカンポ」ともいう(らしい)が、昼時に
「小さい時スカンポの咲く頃という童謡を歌ったことがある。」との話があった。 

筆者は幼い頃この童謡は全く歌った記憶がなかったので後で調べたところ、色々な事がわかった。
以下にその歌詞を記す。

童謡「すかんぽ(酸模)の咲くころ」(北原白秋 作詞、山田耕作 作曲)
 土手のすかんぽ、ジャワ更紗(さらさ)
 昼は蛍(ほたる)が、ねんねする
 僕ら小学一年生
 今朝も通って、またもどる
 すかんぽ、すかんぽ、川のふち
 夏が来た来た、ドレミファソ


なお、上記歌詞の一部は替え唄であって、オリジナルは北原白秋の時代であるのでこうだ。

前段 略
僕ら小学 尋常科(じんじょうか)
後段 略

今は現代風に多くの歌手が歌っているようだ。

ちょうどyoutubeではHanaboyなる歌手が歌っていた。シンプルな良い歌である。

また、「更紗」とは何か?知らないので調べた。

「更紗」は、鮮烈な色彩と異国風の文様で「木綿」という素材を用いて「織り」ではなく「染め」てあることが分かった。
白秋の時代には流行っていたのだろうか?

さらに、「スカンポ」とは標準名「イタドリ」の別名と思っていたが、

一方、「スイバ」も同じ「スカンポ」と呼ぶようだ。


ところで、白秋はどちらの植物を歌ったのだろうかと疑問が湧いたので調べた。

まず「スイバ」。

「ジャワ更紗」の文様(赤やピンクの混合色で)として表現しており、かつ、
季節は「夏が来た来た ドレミファソ。」の歌詞から初夏の頃と分かった。

「スイバ」は以下写真のように4月の時点で朱色の花が咲いていた。
 

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一方、「イタドリ」は若い茎が4月時点で出て来るので同じであるが花はほぼ白色で初秋に咲く。

筆者らは子供の時に、能く採ってその表皮を剥き、かじってその酸味を楽しんだものだが、「スカンポ」と呼んでいた。

以上のことから、ここでの「スカンポ」とは「スイバ」のことであることが判明した。

なお、先に出てきた「ギシギシ」は、さらに違う植物で花の色は「赤色」にはならず「うす黄緑」である。

そして「スイバ」より大型の植物である。

このように、植物は姿が似ていても別の種類であることから伝承や記録に正確さを欠いたり、

また、名称が同じでも全く異なる種であったり、さらに別名や方言があってそれが混同して使われていたりなど、

本当にややこしい世界である。

「天ぷら」の話がおおいに逸れてしまったが植物の話題については本当にいろいろと

尽きることがないという一つの例であろうか。

以上  (作成 磯川)

2014.05.02

二宮竹の里 活動だより (竹林の雪害後の片づけ作業)

活動日:4月27日
竹林の竹が本年2月の大雪で大量に被害をうけた。

倒れた竹はその量が多すぎて片づけ伐採、整備が簡単には終わらない。

既に季節が変わり春になってしまった。
まずは、2月の大雪を振り返ってみる。
①2月7~9日 :低気圧が急速に発達、太平洋側の広い範囲、特に関東甲信・東北で

場所により観測史上最高、あるいは数十年ぶりとなる記録的な大雪。
   
関東は8日夕方〜夜を中心に翌9日未明までほぼ1日降り続き、

東京で45年ぶりの25cm超えの27cm(戦後8位・歴代7位タイ)、

千葉で観測史上最高の33cm、熊谷で60年ぶりの43cm・・・・・。
②2月14~15日 :低気圧が発達し前週(7~9日)とほぼ同様、

東北~近畿の太平洋側の広い範囲で特に関東甲信と東北で記録的な大雪。
関東甲信では陸地に近いところを低気圧が通過、沿岸では15日の未明頃早めに

雨に変わったものの、内陸では寒気が残り朝方まで強い雪が降ったため豪雪となった。

甲府、前橋、熊谷、宇都宮などでいずれも観測史上最高(特に甲府ではこれまでの記録

(49cm)を2倍以上塗り替える114cm)を記録、東京でも先週同様27cmを記録・・・・・。
特にこの2回目の雪はあちこちの中山間地域等で孤立が余儀なくされたり、

道路/鉄道等も長時間もマヒしたこと、あるいは春野菜等のビニールハウスが多く

倒壊した等の経済的/人的にも大被害を発生させたニュースは記憶にまだ新しい。
温暖な当地、二宮でも20cm程の積雪で、12年前から活動を始めて以来の大雪であった。

写真はテラスの残雪の状況。

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この雪は特に湿った重い雪だったので竹の葉の上に積もって、

ついに竹といえども重さに耐えかねて根元付近で座屈したのである。

さらにこれが将棋倒しのように次々と前方の竹を押し倒し大量の竹が割裂、

折れ曲がってしまったものである。
写真は座屈、割裂、折れ曲がった竹の無残な姿。

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これらの徐去作業にあたっては、曲がった竹や折り重なった竹はバネが

効いていて伐ったとたんに跳ね戻って顔にあたったり思わぬ方向に倒れたり

するので、事前に発生事象を予測してから伐り出すこと、一度に長い竹を伐らずに

短く玉伐りするなど注意してゆっくり慎重に作業を進めた。
現在、徐々にではあるが下の写真のように一部が片付いてきたところである。

新しい筍が出て来る5月中旬頃までには完了させようと意気込んでいる。

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以上   (作成 磯川)

二宮竹の里 活動だより(ミカンの施肥~ミカンの苗木植え付け)

活動日:3月8日/4月12日
当フィールドは里山の樹木/竹の保護管理活動だけでなく、

地元農家のミカン栽培のお手伝いもさせていただいているのも活動の一部である。
ミカンの収穫作業ばかりでなく、収穫後の「剪定」・「施肥」・下草の繁茂期間の

「下草刈り」、真夏の「摘果」など一連の手入れ作業を代行しているのだ。
(1) 施肥
施肥は毎年3月、写真のように木の根元の周囲にサークル状に浅い溝を

掘ってそこに合成肥料を播き再び土で埋戻す作業である。
作業は低く横に張り出した枝の下に屈みこむ姿勢のため、結構しんどい

ものである。頭や肩に枝をぶつけることもある。

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(2)老木のミカンの木
ここのミカン畑は戦後間もなくに開墾して苗を植えたと聞いている。

一般的には「ウンシュウミカン」の生産寿命は約25年とのことで、現在、

既にその寿命を過ぎている老木も多い。しかし、不揃いのミカンだが、

まだまだたくさん実るし放置していたらもったいないことから我らが

お世話を継続している。
近年、下の写真のように根元(これはちょうど台木のカラタチの部分)を

シロアリに食われたのか内部が空洞になっているものや、枝が腐って

折れてしまったものが散見される。

しかし、されど、どっこい元気に生きている!

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下の写真は老木のため耐力が劣っていたのだろか、昨年の台風の

強風によって倒れたもの、今年の大雪の時の重みでついに根元から

折れてしまったものである。やむなく片づけたところである。

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(3)新たな苗木を植えるよう依頼される
先般、農家の人から、「空きになった箇所に苗木を植えて欲しい!」

と頼まれたので苗木を増し植えの作業を引き受けたのだ。
苗木は既にお宅の庭内に植えて育ててあったものを、ちょうど新芽が

出る前の頃愛に植えるのが良いとの話であずかってきた。

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苗木は写真のように人の背丈ほどのもの

(庭で数年育てられていて根の張り具合が旺盛。)4本。

高さ50cmほどのもの(昨年購入したという苗で1年間育てたもの)3本。の計7本。
 
苗木の品種は「大津4号」で、近年、この二宮/大磯地区では一般的な品種である。
以下に、「大津ミカン」の特徴を記載する。(netから)
・1964年に神奈川県足柄下郡湯河原町の大津祐男氏が十万温州を母体に、

ポンカンを受粉させた珠心胚実生から選抜した系統で1977年に品種登録されたもの。
・11月中旬から12月上旬に完全着色する。この頃が収穫適期。
・果実は大玉で玉ぞろい良く扁平。果皮はやや厚く果面は滑らかで

光沢があり外観が美しい。
・甘みが強くほとんど酸味が無い。
今までここの畑に植えられているミカンは、「藤中」と言われているもので、

戦前に発見、栽培されてきた古い品種である。
(4)苗木の植え付け作業、支柱設置
4月12日に植え付けを実施。農家の人から、

①大きめに穴を掘り周辺の土も一緒にほぐすこと。

②植え付け深さは接ぎ木してある箇所が埋まらない程度の浅さとする。

③植え付け後は支柱を設置する。

④繁っている葉は少しだけ剪定して取り去ること。

⑤散水を実施すること。等の指示があった。

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支柱については、今回の苗の背丈が高く風による被害を受け易いため、

3本の竹棒を使い三方に配置してしっかりと固定した。最後に畑の脇に

置いてある天水桶の水を根の周辺に十分散水したが、今後、しばらくの期間は

こまめに散水を行なう、特に真夏の日照り等の時は注意して散水を行うつもりである。
(5)ミカンの苗木の台木についての雑学ネタ
ミカンの苗木はカラタチの台木にミカンの穂木を「接ぎ木」して作ることは

知っていたが、あらためてその理由について確認した。(netから)
①カラタチは台木として生長が早く穂木のミカンとの活着・親和性が良いため着果が早い。
②耐病性、耐寒性にも優れている。
等から日本ではカラタチが95%以上使われていることを知った。
一方、カラタチは浅根性のため風害による倒伏・干害による影響が大きいこと、

木の寿命が短いなどの欠点もあるようだ。
したがって、ほかにユズ、ヒリュウ(カラタチの一種)、シイクワシャー

(沖縄の柑橘種)等も多く研究されているようだが、穂木との親和性、

気候環境他による差も多く、夫々一長一短があるとのこと。

また、外国ではさらに違う台木を使用していること等を知ったが、

ミカン農家は随時、新たな付加価値の高い品種に更新しながら営農して行か

ねばならないようだ。反面、我らは楽しみながら行うことであるので申し訳ないが、

ミカンについて少しでも知ってその思いを共有したいと感じている。

今回植えたのが苗木なので何年先になるだろうか?

花が咲き実って初採りが食べられるのは・・・。

今の藤中ミカンとのとの食べ比べが待ち遠しい。

気の長い活動である。以上                (磯川 作成)